あの世とこの世を結ぶもの

この日は日本でいうお盆みたいな日で、
長青村の玄関口と道路を挟んで向かいのお墓の前には、
ビールやらお菓子やらフルーツやら調味料まで
たくさんの品物が並び、
あの世へいった人たちを迎える準備をする。

台湾のお盆では「紙銭」といって紙で作ったお金を燃やす習慣がある。
あの世で困らないようにと、立ち上った煙は天まで届く。
紙銭には衣服にタンス、テレビやら車まで描いてあった。
近頃はあの世もこの世と同じように贅沢になっている様子。

日本でもお盆やお正月を迎える前には必ず墓掃除をする。
小さい頃はその手伝いをするのがいやでいやでたまらなかったが、
近頃は、墓参り本番よりも、
そういう時間こそ大事にしたいと思うようになった。

おばあちゃんの魂はここ(お墓)にはいないと思う。
空や木々や実った野菜や花や、
心落ち着いておばあちゃんを想うとき、ふと近くにいるように感じるのだ。

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日月潭の歌

台湾5日目。長青村でのんびりした一日を過ごす。

ご老人が書いているのは「日月潭の歌」

 おぼろにかすむ山と水
 舟は巡りて 里遠し
 日月潭の春淺く
 緑とけこむ舟の中

どんな人がどんな想いでうたった詩だろうか。

彼が通った鳥牛欄工学校の先生は、
日本から1ヶ月掛けてここまで来たんだそうだ。
つい、60年ほど前の話。

18才のとき、2年間日本軍に所属し、特攻隊の飛行機の整備をしていた。

長青村の農園にはたくさんの野菜やフルーツが生っている。
いい具合に熟したドラゴンフルーツを収穫した。

夕方には友人が今年幼稚園に通いだしたかわいい女の子を連れ
遊びにきてくれた。

4日目

4日目、静かに小雨の降る朝から始まった。
また9月の台湾に戻ってきた。
 
 
Peringさんは今日から韓国へ出発する。
昨夜の着の身のまま現れたPeringさん。
そんな日の前夜にあんなに盛大な宴までひらいて頂いて・・・。
 
出発前に、彼が有機農法で営んでいる農園を案内してくれた。
広い農場に、新鮮な野菜。
山間の小さな村の雇用も生み出している。
 
 
さて、今日は埔里に戻って長青村へ。
 
今夜の食事は長青村に住むお年寄りの方々に日本食を振舞う予定、
ではなかったが、色々あって一日前倒しで本日開催。
 
台湾のスーパーではだいたいの日本の調味料は手に入る。
埔里の友人にバイクを借りて、街のスーパーへ買出しに出かける。
 
余裕をみて早めに取り掛かった料理だが、40人分となると大慌て。
慣れない調理場に、大きな鍋。
それを毎日、朝・昼・晩と手際よく豪快に作る女将さん。
 
 
今夜のメニューはちらし寿司におすましに、おにぎり。
 
料理の得意な妹が、普段見せない指示を飛ばす。的確で頼りになる。
姉としてはそれがとても嬉しくって楽しい時間だった。
 
最後は長青村のスタッフにもおにぎりを握るの手伝ってもらって、やっと間に合った。完成。
みんなが作るおにぎりの形、いやいや、意外にあの三角の形を作るのは難しいことなんだと驚き。
そういえば小さい頃、母の作るお弁当のおにぎりを見よう見まねで作っていたな。
 
Yoshikoが日本から持ってきてくれた、お酢などは大変重宝。
料理の完成写真をお見せしたいところですが、
慌てすぎて、ろくな写真がありません。
 

 

 
台湾の高山茶。
 
 
長青村ってどんなところ?と思った方はこちら。
 
 
 

台湾三日目

10月ですね。そろそろ旅の続きを書きましょうか。
 
昨夜のお酒が残った目覚め・・・。
 
日曜日のこの日は教会のミサへ出かける。
朝9時の教会にはすでに村の人が大勢集まっており、歌声が響く。
布農の言葉で歌う賛美歌は圧巻だ。 
 
 
午後は中正村をあとにして、瓦歴斯貝林(Walis Pering)さんの住む南豊村へ向かう。
この村は台湾で2008年に第14の原住民族として認定された賽徳克族(Seediq)の村。
それまでは泰雅族(Atayal)の種族の一部とされてきた。
 
 
 
大きな背中はPeringさん。
夕方になると、Peringさんの自宅には家族や親戚やそのまた友人がたくさん集まって大宴会。
しまった、通訳・・・。当てにしていた友人は仕事で中国へ旅立ってしまう。
なんのその、台湾で言葉が通じなくて困ることなんてない。
もちろん話せることにこしたことはないが(10年も通ってなにをいう)、
何を伝えたいか、想像しながら話すとだいたい伝わるものなのだ。
 
Peringさんのとなりは御年90歳のお母さん。
もっと早く来ることを知らせてくれたら赤飯炊いたのにとお母さん。
 
その夜もおいしいお野菜と手作りの料理、それから原住民の小米酒と、
家族に囲まれて、とても濃い夜を過ごしたのです。
 
 
ここは「霧社事件」と呼ばれる日本統治時代に起きたとても悲しい事件の舞台。
今、村の人々からその面影を読み取ることは出来ないが、
この事件で、家族を、祖先を失ったという人は実は、少なくない。
 
台湾で撮影されている映画、『Seediq Bale(賽徳克巴莱)』をご存知か。
この映画は「霧社事件」を描いたもの。
 
日本語で撮影の日々が書かれたブログがあるので是非ご覧あれ。
映画の内容ではなく、それに関わるスタッフの“今”が鮮明に綴られていて、
興味深い内容になっている。
 
 
映画の公開は2011年。
 
日本で上映されることを願っている。また、それができる国であって欲しいと願う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

台湾二日目

翌日、中正村の涼しい朝。ゆっくり起きて朝ごはん。 
ママが蛋餅(たんぴん)を作ってくれた。
 

遅い朝ごはんのあとは水着を着込んで、
中正村を流れる小さな川へ川遊びに出かける。

ママのバイクともう一台、どこからか借りてきてくれたバイクに、3ケツ。
おやつにバナナぶら下げて。
少し曇った空に、この水の冷たさ。
水に入るのには、かなりの時間躊躇したが、さらさらの水は気持ちよかった。

川でひと遊びしたあとは、歩きなれた村の道をてくてく歩く。
庭に出てのんびりおしゃべりをする村の人たち、
私たちを見かけると、「ごはん食べたか?」と声を掛けられる。
「ごはん食べたか?」はここ布農族の言葉で挨拶のようなもので、日本語に直訳するとそうなる。

挨拶といえど、まだ食べていないなんて返事しちゃった日にゃ、大変なことになるのだ。

だからいつも、食べてなくても「食べたよ、おなかいっぱい」と返事をするようにしている。
それでも「腰を掛けなさい」と、必ず招き入れてくれる。
先を急がねば、今から私たちは村の教会の牧師さんに会いにいくところなのだ。

急な坂道を登ったところに教会はある。

教会に着くと、牧師さんは留守のようだった。
屋根の下のソファーに座って、しばらく待つことにした。

ゆるい時間の流れに睡魔が襲う。
ツクツクボウシの鳴き声が普段聞きなれているものと違っていた。

お腹も空いてきたし、そろそろママのご飯を食べに帰ろうか。

いつも日本の小説を読んでる駄菓子屋さんのおばあちゃん。きれいな日本語を話す。

ママの育てたおいしい野菜たっぷりのお昼ご飯を頂いて、
お腹いっぱいになったなら、
お昼寝しかないでしょう。みんなで熟睡。

その間に雨が降ってきて、外はザーザー降り。雨に冷やされた風がさらに眠りを深く・・・。

夕食は、村から少し離れた山中に暮らす友人夫婦に招いていただいたので、
約束の時間には目が覚めた。

今年の2月にここでたまたま出会った素敵なご夫婦だ。

台湾人の彼女は平日は台北で仕事をしているが、週末は必ずここで過ごしている。
家の内装は二人の手作り。シンプルな部屋。彼女のパートナーはフランス人アーティスト。
台湾語に日本語、英語、フランス語が飛び交う夕食のひととき。
高粱酒というアルコールの強いお酒と、
ママの手作りのジンジャーの効いたお米の蒸留酒で、
かなりいい気分に。ゲストハウスに戻ってからもなかなか寝付けず、
よっちゃんのヨガ講座が始まりました。

一日分の話でこの長さ。日本に帰ってくるのはいつになることやら。

  

 

台湾初日

9月初旬のまたたび企画、台湾レポート。
さて、のんびり書いていきますよ。
 
初日、海を渡るのは初めての妹を連れ、
気になる仕事も思考回路からぷっつり絶って(絶ったつもりで) 台湾へ旅立つ。
 
空から、瀬戸内海に浮かぶ小豆島。
 
 
妹に荷物のパッキングで伝えたのは、
「荷物はシンプルに、パスポートだけは取得せよ、水着は持っていくべし」のみ。
サポートできなくてごめんよ、妹よ。でも、ちゃんと小さく纏めてきた。
 
 
台北、台中の都会には見向きもせず、
台湾のほぼ中央に位置する街、埔里まで高速バスを飛ばす。
 
埔里の友人宅で成田発のメンバーと合流した。
友人には、相変わらず事前に行く日にちを伝え忘れるが、
いつものように迎えてくれる友人とそのママ。
 
晩御飯は友人とママと一緒に埔里の週末だけ開かれる夜市に出掛ける。
まずは、蠣阿煎(牡蠣のオムレツ)を頂く。これがまた格別に美味しいかったのだ。
台湾に来たからには木瓜牛乳(パパイヤミルク)も欠かせないもののひとつ。
 
台湾における食料自給率は80%以上。実に日本の倍。
大きな被害を受けた地震のすぐあとも、この地では食べるものに困ることなど、ほとんどなかった。
亜熱帯の気候に育つ鮮やかなフルーツ、豊富な種類の野菜に海の幸。安くておいしくて、ここはとても暮らしやすい。
会う人会う人、大らかなのはそのせいか。
 
 
お腹を満たした後は、夜も遅いので、タクシーで中正村へ続く山道を走る。
途中、台湾Beerを調達することも忘れない。
 
夜の中正村は灯かりも少なく、道に迷って行ったりきたり。
タクシーのクラクションで居場所を知らせる。ゲストハウスのママが道に出て私たちを迎えてくれた。
まずはビールで再会に乾杯。明日に備えて早く寝ようとも、
積もる話は深夜まで続く・・・。
 
今回の台湾レポートでは きっと台湾の“お母さん”、もしくは“ママ”がたくさん出てくると思う。
同じ人か、そうではなくてまた新しいお母さんかは文脈で分かってもらえるんじゃないかと、思う。
 
有難いことに、私たちを娘のように想ってくれるママがここにはたくさんいるのです。
 
 
ここいらで、夜市で見つけたおもしろ写真を少し。
 
 
(奇妙な歯ブラシの実演販売。)
 

(はしたなくて、「すいませーん」) 
※「すいませーん」は内輪の笑いの種です。あしからず。
 
 
  
 

7月の台湾

こぶさた。
 
7月最初の週末、3泊4日の台湾の旅の話。
いつものお出掛けにパスポートといくつかのお土産をプラスして飛行機に飛び乗った。
久しぶりの真夏の台湾。 
 
初日は、台中の友達の友達が経営するレストランで、
よっちゃんと待ち合わせ。
営業時間終了後のレストランでは、夜な夜な仲間が集まり、
それぞれ思い思いの時間を過ごす、とても居心地のいい場所。
 
 
 
2日目、霧社へいく道の途中に住む瓦歴斯さんに会いに行く。
台湾の立法院の議員さんだった彼は、台湾ではとても有名な方で、
遠方からわざわざ、彼に会うために観光バスのツアーが企画されるほど。
どんなに立派な方なんだろうと緊張していたそのとき、軽トラに泥んこ汗まみれのランニングシャツで現れた。
彼の畑で育てた無農薬の採れたて野菜と小米酒(原住民のお酒)で私たちを出迎えてくれた。
誰もが会ったとたんに好きになるような人柄と魅力を持ち合わせた人だった。
 
 
3日目、檳榔の林をぬけて、中正村へ。
ここで民宿を営むお母さんは女手ひとつで二人の子供を育てあげ、
今はひとり民宿をきりもりしている元気なお母さん。
言葉は通じなくても、思いは通じる。 
 
台湾へ来るようになって、10年。時々来る台湾だから、小さな変化がよく見える。
 
当初、予定していたまたたびツアーの内容も色んな方の知恵とご好意に甘え、
若干変更を加えつつ、形になってきた。紹介したい人や場所がたくさんある。
そのうち、またたびブログにもUPしますね。
 
今まで何度も行った台湾だけど、今回の企画を進めることで、
初めて知ることや新しい出会いにも恵まれ、よりいっそう台湾が好きになっていく。
 
 
 
なにが?"ございます"?。豆漿(台湾の豆乳)が入ったカップ。
埔里の朝市にて。