日月潭の歌

台湾5日目。長青村でのんびりした一日を過ごす。

ご老人が書いているのは「日月潭の歌」

 おぼろにかすむ山と水
 舟は巡りて 里遠し
 日月潭の春淺く
 緑とけこむ舟の中

どんな人がどんな想いでうたった詩だろうか。

彼が通った鳥牛欄工学校の先生は、
日本から1ヶ月掛けてここまで来たんだそうだ。
つい、60年ほど前の話。

18才のとき、2年間日本軍に所属し、特攻隊の飛行機の整備をしていた。

長青村の農園にはたくさんの野菜やフルーツが生っている。
いい具合に熟したドラゴンフルーツを収穫した。

夕方には友人が今年幼稚園に通いだしたかわいい女の子を連れ
遊びにきてくれた。

4日目

4日目、静かに小雨の降る朝から始まった。
また9月の台湾に戻ってきた。
 
 
Peringさんは今日から韓国へ出発する。
昨夜の着の身のまま現れたPeringさん。
そんな日の前夜にあんなに盛大な宴までひらいて頂いて・・・。
 
出発前に、彼が有機農法で営んでいる農園を案内してくれた。
広い農場に、新鮮な野菜。
山間の小さな村の雇用も生み出している。
 
 
さて、今日は埔里に戻って長青村へ。
 
今夜の食事は長青村に住むお年寄りの方々に日本食を振舞う予定、
ではなかったが、色々あって一日前倒しで本日開催。
 
台湾のスーパーではだいたいの日本の調味料は手に入る。
埔里の友人にバイクを借りて、街のスーパーへ買出しに出かける。
 
余裕をみて早めに取り掛かった料理だが、40人分となると大慌て。
慣れない調理場に、大きな鍋。
それを毎日、朝・昼・晩と手際よく豪快に作る女将さん。
 
 
今夜のメニューはちらし寿司におすましに、おにぎり。
 
料理の得意な妹が、普段見せない指示を飛ばす。的確で頼りになる。
姉としてはそれがとても嬉しくって楽しい時間だった。
 
最後は長青村のスタッフにもおにぎりを握るの手伝ってもらって、やっと間に合った。完成。
みんなが作るおにぎりの形、いやいや、意外にあの三角の形を作るのは難しいことなんだと驚き。
そういえば小さい頃、母の作るお弁当のおにぎりを見よう見まねで作っていたな。
 
Yoshikoが日本から持ってきてくれた、お酢などは大変重宝。
料理の完成写真をお見せしたいところですが、
慌てすぎて、ろくな写真がありません。
 

 

 
台湾の高山茶。
 
 
長青村ってどんなところ?と思った方はこちら。
 
 
 

金木犀

10月のはじめ、あまりに突然に、大切な方が亡くなった。
 
頭の中と、沸いてくる気持ちとを繋げるのにずいぶんと時間が掛かっていて、
いまだによく分からないが、
とことん向き合ってみることにした。 
  
そのかわり、多くの人との出会いもくれた人で、
つながりはどこまでも広がってきていて、きっとこの先も続いていくんだろうと思う。
私の胸のここにも、みんなの心にも生きてるなぁと思う。
 
 
自分事に勇気が欠けている私ですが、
今日は一歩踏み出した日でもある。小さな記念日、かな。
 
 
 
 

台湾三日目

10月ですね。そろそろ旅の続きを書きましょうか。
 
昨夜のお酒が残った目覚め・・・。
 
日曜日のこの日は教会のミサへ出かける。
朝9時の教会にはすでに村の人が大勢集まっており、歌声が響く。
布農の言葉で歌う賛美歌は圧巻だ。 
 
 
午後は中正村をあとにして、瓦歴斯貝林(Walis Pering)さんの住む南豊村へ向かう。
この村は台湾で2008年に第14の原住民族として認定された賽徳克族(Seediq)の村。
それまでは泰雅族(Atayal)の種族の一部とされてきた。
 
 
 
大きな背中はPeringさん。
夕方になると、Peringさんの自宅には家族や親戚やそのまた友人がたくさん集まって大宴会。
しまった、通訳・・・。当てにしていた友人は仕事で中国へ旅立ってしまう。
なんのその、台湾で言葉が通じなくて困ることなんてない。
もちろん話せることにこしたことはないが(10年も通ってなにをいう)、
何を伝えたいか、想像しながら話すとだいたい伝わるものなのだ。
 
Peringさんのとなりは御年90歳のお母さん。
もっと早く来ることを知らせてくれたら赤飯炊いたのにとお母さん。
 
その夜もおいしいお野菜と手作りの料理、それから原住民の小米酒と、
家族に囲まれて、とても濃い夜を過ごしたのです。
 
 
ここは「霧社事件」と呼ばれる日本統治時代に起きたとても悲しい事件の舞台。
今、村の人々からその面影を読み取ることは出来ないが、
この事件で、家族を、祖先を失ったという人は実は、少なくない。
 
台湾で撮影されている映画、『Seediq Bale(賽徳克巴莱)』をご存知か。
この映画は「霧社事件」を描いたもの。
 
日本語で撮影の日々が書かれたブログがあるので是非ご覧あれ。
映画の内容ではなく、それに関わるスタッフの“今”が鮮明に綴られていて、
興味深い内容になっている。
 
 
映画の公開は2011年。
 
日本で上映されることを願っている。また、それができる国であって欲しいと願う。