東勢南のバス停にて 続き

時系列が前後するが・・・。
 
東勢南のバス停にて、その続き。
 
谷関行きのバスの時間まではあと1時間半。誰もいないバス停。これはもう一度寝るしかないと思い、バス停のベンチで寝そべっていると、
先程、台中からここまで運んでくれたバスの運転手が戻ってきた。
片手にMinuteMaidのオレンジジュースを持っていて、私にそれを渡すとバスに乗れという。
どうやら中央のバスターミナルまで連れて行ってくれるらしい。
お言葉に甘えて運転手のとなりに座り、しばらく走ると見覚えのあるターミナルに着いた。
 
ターミナルで隣に座ったおばさんが日本語で話しかけてきた。
谷関の手前の博愛村に友達がいるから会いに行くんだということを話すと、
ここは初めてか、場所は分かるか、誰に会う、不在だったらどうする、と心配してくれる。
別の運転手は谷関から戻りのバスの時刻表(張り紙)を持っていけと渡してくれる。
住所と名前の書いたメモを見て、どこかへ電話をかける人。ユーミンを探してくれている。
バスが到着するまで、ターミナルでは日本語と中国語と原住民の言語が飛び交っていた。
 
このなんとも言えない台湾の人のあったかさに、いつも助けられる。
 

 松鶴地区に到着。

ユーミンの家まで歩くが、出かけているのか人の気配は無かった。
帰りのバスまでまだ十分時間があるので、出来るだけ待とうと思い、村が見渡せる高台に座った。
「あなた知ってるよ」と声を掛けてきたのは、小学校の先生、黄さんだ。
 黄先生。地震直後にお会いしている。
 
 松鶴地区の小学校。
 

小学校ではタイヤル族の踊りの練習をしていた。地震以後、小学校の生徒数は100人から半分以下の42人までに減っているそうだ。

 踊りの先生。お孫さんを連れて小学校へ来ていた。この方も日本語が達者だ。

 

黄先生の車で博愛村を回っているとき、ユーミンが山の仕事から戻ってきた。

ユーミンも変わりなく元気だ。

その日の夜は黄先生のお母さんの家に泊めさせて頂くことになった。

 

 

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