10年目の埔里へ

9/19 台中から埔里までのハイウェイバスが先週から開通していた。台北懸の桃園国際空港から台中を経由し埔里までの道のりは何度も通ったので慣れたものだが、以前は6時間ほど掛かっていたのが、今では4時間程度見積もれば十分となった。

りえさんにバイクを借りて、一走り、今夜は菩提長青村の仮設住宅(空き部屋がゲストハウスとなっている)に泊めさせて頂く。 ここは1999年の大震災で、住む家を失った方や、身寄りのないお年寄りの方の生活支援、食事、介護など全てをみている仮設住宅のコミュニティだ。運営は寄付や多くのボランティアに支えられ、今も明日の震災追悼式の準備に各地からボランティアが集まってきている。

夜、急に犬が吠え出したかと思ったら、蛇だ。しかも赤い斑点のある毒蛇。みんなで騒いでいると、入居者のおじいさんが選定バサミを持ち出して、蛇の頭を掴む。あっという間にペットボトルの中へ。10年前、初めて埔里を訪れたとき、倒壊した家から大事な思い出のつまった品物、写真や保存食、まだ使用できる日用品などの“宝探し”の最中にも蛇が現れ、おじいさんはすばやく捕まえるとお昼にはスープになって出てきたことがあった。

長青村の農園では入居者の方たちが自ら無農薬の野菜を育て、毎日の食卓に。お年寄りたち手作りの生活雑貨、陶芸品などの販売も行い、貴重な収入源となっている。ただ生活支援をするのではなく、ここは自立と互助の概念を持ち合わせている。 

仮設と仮設の間の共有スペースには緑の屋根があり、台湾の夏の厳しい陽射しを防ぐ工夫。入居者の方、スタッフ、ここを訪れる方の憩いの場となっている。あくまで臨時の仮設住宅の形態から始まった長青村は、何度も撤去の危機に見舞われるが、今回、まずは5年間の存続が決まったことを聞いた。村長さんを始め、運営やボランティアに関わる人たちの強い思いを感じた。 人が豊かに生きていく場所とは・・・。今回の台風被害で村ごと住む家を失った方や集団移転など問題は山ずみと思うが、古い伝統や暮らし、ご近所同士の繋がりなど、失われてしまわない方法がないものか。 ここ菩提長青村での活動に何かヒントがあるような気がした。

9月21日 午前1時47分  入居者の方、この10年間、長青村に関わってきたスタッフ一人ひとりがロウソクを灯し、その時を迎える。

 今や入居者とスタッフは大家族のような存在となっており、互いに生き、生かされている。

 

 

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