どくだみとすぎな

パン工房でパン作りのあとは、お茶の葉作り。
 
有給休暇、フル活用です。
 
梅雨のこの時期、どくだみを摘むのにちょうどいい感じ。
裏山に続く道端や庭のどくだみをたくさん摘んで、
きれいに洗って、日陰干し。
 
ついでに畑に生えてるスギナも。
スギナは摘む時期がちょっと遅かったかなぁ?
 
いつ頃お茶が飲めるのか。
楽しみだ。
 
 
どくだみ茶の効能
疲労回復、血液浄化、むくみ解消、アトピー性皮膚炎、ほかにも色々。
夏のほてった身体を冷やしてくれる効果もあるんだって。
 
すぎな茶の効能
ミネラルの宝庫。ほうれん草と比較しても
リン、カリウムは5倍!カルシウムは155倍!マグネシウムは3倍!!
解熱やデトックス効果、むくみ解消、糖尿病の予防など。
それから美髪。アンチエイジング!
 
これも、ほかにも色々あるらしいけど、
自分によさそうなのだけピックアップ。
 
すごいなぁ。しかも採り放題だ。
 
ちなみにうちの石けんは、花水月さんのスギナ石けん。
これがまたいい。家族にも大好評。
 
関連サイト: 花水月 http://hanamiduki.org/
 

パン工房

6/24(水) 今日は大好きなパン屋さん、“ふぉれすと” 一時閉店最終日。
 
パン職人のおじさんが東京へ引っ越すことになったのです。
おじさんはなんと、わたしの先輩でもあります、桜美林の卒業生です。
 
朝3時に起きて、パン工房へ出かけました。
今日は一日パン作りのお手伝いです。
 
仕事も有給休暇とってお休み~。
 
初めて触るパンの生地は発酵させるととてもやわらかくふわふわです。
それを手のひらで叩いたり、のばしたり、丸めたり、形を作ります。
 
いや~ これは面白いなぁ。
出来立て焼きたてのパンのにおいはなんとも幸せな気分にしてくれます。 
大好きなたまごのサンドイッチも伝授頂きました。
 
 
おじさん、東京へ行ってしまうけど、こことはまた違った、
楽しい生活が待ってるはず。
それに会えなくなる気はしない。
 
今日はパン作りしながら色んなことお話出来た。
嬉しい。よかった。
 
 
発酵させたパン生地。
 
焼き上がりました。クリームパン。
 
                
               しょくぱん。
 

“アートは人生”

6/4(土) ピースオン代表 相澤恭行さんの
イラクのお話を聞きに徳島大学の講義にお邪魔。
 
 
 
ヤッチこと相澤恭行さんは、イラクへの米軍の攻撃を止めようと、
ヒューマンシールド(人間の盾)としてイラクへ入った人。
 
あのとき、私も本当に戦争を止められるんじゃないかと震えた。
 
相澤さんはあれからずっとイラクに関わってきている人。
 
 
ここから相澤さんのお話より。
 
イラク戦争開始からの6年
 
相澤さん、初めてのイラクは2003年2月
イラクは確かに独裁色の強い国だった。
学校、病院、映画館、どこへ行ってもサダムの写真だらけ。
サダムの悪口をいう人はいなかった。
 
最初の印象は子供たちがたくさんいる国。(人口の半分以上が18歳未満)
もともとは石油が取れて豊かな国だったが、湾岸戦争以降の経済制裁により、
国は貧しくなる。
 
湾岸戦争のときに米軍が使った劣化ウランによる影響か、
白血病の子供たちが大勢。
バスラには子供たちだけのお墓がある。
経済制裁が行われた数十年で150万人以上が犠牲になったと言われている。
 
イラクの人々はいう、「今頃来ても・・・」 
本当に苦しかった経済制裁の期間、何もしてくれなかったじゃないか。
 
戦争はずっと続いていた。経済制裁には国連も、日本人も加担している。
 
人間の盾はイラク反戦運動として、
何十万人と人が集まれば、戦争は止められるのではないか。
本当にそう思った時期もあった。
 
米軍の攻撃による死者は100万人以上と言われているが、
その一つ一つにどれだけの悲しみがあるのか。想像を超える。
 
しかし、陥落したイラクに米軍が入ってきて、米軍の若い兵士と
顔を合わせる機会もあったが、その顔と人を殺した手とがどうしても結びつかない。
米軍としてイラクに来た人もアメリカの中ではマイノリティ達。
戦争には貧しい人たちが巻き込まれている。
 
あっという間にイラクは陥落。
その後、日本のNGOなど医療支援が活発になる。
ピースオンは大きな支援では取りこぼされるところを埋めていくような活動を行ってきた。
学校に通う子供達の送迎バス。
 
2004年米軍のファルージャ攻撃以降、情勢は一変。
米軍の攻撃の原因となった、アメリカ民間人が殺された事件は
実は民間軍事団体の人だった。
 
民間人であろうと誰も信用されなくなる。
外国人はすべて同じ。日本の自衛隊であっても
武器を持っているものはみんな敵。
 
子供達の送迎バスもピースオンのロゴを取り外して活動してきたが、
それも続けられない状況に。
 
米軍がいるイラクには周辺のアメリカを攻撃したい武装グループが
流れ込み、テロが繰り返されるようになった。
 
2005年-2006年、状況はさらに悪化。
イラク人同士の殺し合い。警察も信用できない。
フセイン時代に弾圧された人々が戻ってきて、宗派の違いで殺し合う。
このときに出た避難民は500~600万人。
 
相澤さんの友人はこのとき「イラクは死んだ」と言った。
友人の絶望は一番辛かった。自分は戦争を体験ではなく、目撃しただけだ。
痛みは想像はできても本当の辛さは本人にしか分からない。
 
今では、街は宗教の宗派であるスンニ派、シーア派の居住地が分けられ、
そこに壁が作られた。絶望から比べると少しはましになった。
 
今できることは何かとの問いに、その友人は、
「イラクを忘れないでくれ」と言った。その言葉に応えるには何ができるのか。
 
 
相澤さんたちは、イラクの子供たちと日本の子供たちの交換日記を行ったり、
イラクの文化、音楽、芸術を私たちに伝えてくれます。
 
イラクでギャラリーを運営する、サブティ氏。
彼は古い本のブックカバーを使って絵を描きます。
それもまたイラク戦争から生まれたアート。
 
というのも彼が住む街の図書館が砲撃によって崩れ、
燃えていく中、彼は一番好きだった本を必死に必死に探した。
 
やっと見つけ出し、本を手に取ったそのとき、
本はもろくも彼の足元にばらばらばらと崩れた。焼け焦げてしまっていた。
手元に残ったブックカバーを見て、彼の中に何かが生まれた。
それがこのアート。
 
サブティ氏は今もイラクでギャラリーを営み、
イラクに居る若いアーティストたちを中心に、個展を開いている。
 
この厳しい状況の中、なぜアートなのか。
 
イラクは、文学や美術が生活に深く密着した国だった。
一万年の文化の歴史を持っていた。
イラクの人々は危険な街を歩き、彼のギャラリーへ行く。
それは、文化を奪った戦争や人殺しに対するひとつの抵抗の形。
 
アートは人生そのもの、命だとサブティ氏は言う。
 
 
イラクの挨拶の言葉 アッサラーム アラン。
アッサラームは゛平和゛、アランは゛あなたの上に゛という意味。 
 
相澤さん。イラクと日本を繋ぐ人。
 

しじみ漁

6/20、21はスタッフ研修と水辺の教室“蜆(しじみ)漁”。
 
今日は朝から川猟師の矢田さんを講師に、
子供たちと吉野川河口の川へ蜆取りに出かけます。
 
ところがなんと、蜆以上にアサリや蛤がざっくざく。
今年の雨の量の少なさと、上流の池田ダム、早明浦ダムが水を止めるので
その影響で、第十堰まで海の塩が遡るのだそうです。
 
そこでアサリや蛤など海にいる貝は大喜び。
 
今年は特に、第十堰のあたりでもエイやヒトデを見かけることがあるんだって。 
第十堰は河口から14km、ですけど。
 
矢田さんの持ってきてくれた蜆漁の道具“じょれん”を使って
貝を採ります。これが砂も一緒に川底を引くので重くって、
子供たちには、いや、スタッフにも大変だけど、それでも一生懸命。
かごの中に大きな貝を見つけると歓声が上がります。
 
 
私、毎回(って言ってもまだ2回目ですが)、
水辺の教室では色んなこと学ばせてもらっています。
 
でも2回目の今回は、反省するところがたくさん。
 
まずは、前日のスタッフミーティングに参加できなかったこと。
子供たちに何を伝えたいか、理解できていないまま教室に参加したこと。
自分がただ楽しんでどうする。スタッフのみんなにも甘えっぱなし。
 
それから、子供たちの行動にやってはいけない事と感じても
注意が出来なかった。正確にはその時どう注意すればいいのか分からなかった。
 
子供たちが帰った後のスタッフミーティングで
色んなことに気づかされた。
 
なぜしてはいけないのか、その理由をちゃんと伝えて、
分かってもらわなきゃいけない。
 
わたしはそれをせず、見過ごしてしまった。
自分自身が、子供たちとまっすぐに向き合うことが全く、出来ていない。
 
 
私は人と付き合うこと、自分を表現することが苦手だ。
とっさなことには特に、固まってしまう傾向がある。
じっくり考えないと、自分のすべき行動が取れない。でもってもう遅い。
 
あの場面は、この場面は、こう伝えればよかったって
あとからあとから溢れてくる。
 
どうすればいいんだろう。悩む。
 
 

満月

6/8 今日は満月。
 
台北の空に満月がぽっかり。
台湾来たんだなあ、高速から見える台湾の街並みをみて思った。 
 
昨日台湾入りして、バスを乗り継いで九份へ。
今回はここで一泊してのんびりぼーっとしたいなぁって計画。
 
人混みを避け、路地をうろうろ、うろうろ。赴くままに。
九份は山の斜面に出来た街なので、急な坂、階段が続く。
でも狭い路地がまたいい感じで、自然と足は進みます。
人ん家のお庭かというところをごめんなしてと。
 
見つけたのは、多桑乃店(とーさんの店)。
九份の中でも一番上の方。よくまあここまで登ったもんだ。
 
前庭には花や草木がきれいに手入れされていて、 
民宿は改装中だったけれど、とても静か。遠く海から吹いてくる風が気持ちいい。
 
ご年配の主人は少し日本語が話せるおとーさんとおかーさん。
宿泊客はわたしと友達のふたりだけ。 
とーさんはなんと埔里ご出身。ちょうど10年前の921、大震災の話や
日本統治時代の話をしてくれました。 
 
ひさびさにのんび~り、ぼーっとしました。
なんにも考えない。ただぼーーーーーっと。空っぽ。
 
うん。こんな時間が欲しかった。
 
 
写真が載せられないのが残念。日本に帰ったらUPします。 
 
 
 
 

Earth Day

5月の最後の週末は、神山アースデイ。
 
手作りのあったかいお祭り。
 
 
 
 
いい出会い、嬉しい再会。
 
自分にできることはなにか?わたしの役割ってなんだろう。